非常にテンポ良く歯切れの良い文章ということもあり、一晩で読み終えた。
非常に多くの事件や事柄を取り上げられているので、詳しい内容まで知らないことも多々あったが、あまり気にせずに読んだ。結局作者が言いたかったことは、まえがきにも書かれているように、
新聞の社説は、なぜあんなにつまらないのか。
そもそも、新聞は昔から偉そうな存在だったのか。
情報源を秘匿する意味とは。
雑誌も新聞もなぜ誤報を飛ばしてしまうのだろう。
名誉毀損裁判の高額化は本当に理不尽なのか。
情を通じて取材し逮捕された人は何を間違えたのか。
だったのだろうが、必ずしも全部頭に残ったとは言えない。それだけ内容が盛りだくさんということだ。
昔は週刊誌がなく新聞がそれを兼ねていいたため、新聞の内容もゴシップ的なものが多かったそうだ。いつの間にか分離され、現在の新聞はどこかエラソーになり週刊誌を見下したような感じがあるらしい。しかし過去のスクープは週刊誌によるものが多いことも事実である。よく言えば棲み分けができているということか。
裏をとるに関していえば、新聞はあまりそれをせず垂れ流しに近いが週刊誌はそれを行っているらしい。これは時間の関係があると思われる。新聞やTVニュースは即時性が要求されるため裏をとる時間がないが、週刊誌は1週間から数週間の時間的猶予がある。
また、取材につきまとうのが、情報源の秘匿の問題だ。情報提供者が特定されるような状況を回避する努力をせずその社会的地位と家庭を破壊したを西山事件と、情報提供者と結婚して結果的に守ったと言える松川事件を対比してあったが、前者は記者としてというより人間として許し難い気はするが、かといって後者が人間性あふれる行為かというとそうでもない気がする。
ジャーナリズムなど全く無縁なので実態は知らないが、記者クラブにもいろいろと問題があるそうだ。現に民主党政権になった際に、記者クラブを開放するというマニフェストが守られていない、記者クラブがネットジャーナリストを閉め出しているという実態があるようだ。
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
鑑定医が秘密をバラす相手を間違えた奈良少年調書漏洩事件。「空想虚言癖」の典型的パターンに引っかかった「週刊新潮」大誤報。賠償額が高騰する名誉毀損訴訟。数々の事件で、メディアが一線を越えるか踏みとどまるかの分かれ目は、秘密の手に入れ方・バラし方、ウソの見破り方の巧拙にある。それを「言論弾圧」「取材力の低下」としか語れないのは、ただの思考停止、メディアの自殺行為だ―秘密とウソというユニークな視点から、「ジャーナリズムの危機」に斬り込む挑発の書。
目次
第1章 「正義」のイヤらしさ
第2章 他人の秘密は蜜の味
第3章 スクープかフェアネスか
第4章 奈良少年調書漏洩事件
第5章 「週刊新潮」大誤報事件
第6章 この世はウソの地雷原
第7章 足利事件―誰が捏造したのか
第8章 名誉毀損―高騰して何が悪い
第9章 リスクとチャレンジと謝罪
第10章 有料ジャーナリズムの終焉?
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