“検察の正義” by 郷原 信郎(ちくま新書)

検察の正義 (ちくま新書)

特捜検察に正義はない、また存在意義はない

著者は、理学部出身、民間企業を退職し独学で司法試験に合格、検察官に任官、さらに23年後に退官したという異色の経歴の持ち主だ。
自らの検察OBとしての経験に基づき、検察の問題点を指摘し痛烈に批判している。特に特捜検察の組織、体質、捜査手法に大きな問題があるということが明らかにされている。著者も、検察官として特捜部の応援をした際に幻滅したという。贈収賄、粉飾決算、株取引などの経済事犯を扱う特捜部の検事達は専門知識がほとんどないということに驚くというより呆れるしかない。
刑事部の刑事事件は一人の検事が責任を持って起訴か不起訴を決定するのに対して、特捜部は集団で取り組む。とは言ってもチームワークや情報共有などはなく、特捜部長などが作り上げた筋書きに合うような供述を、検事が指示通りに取っていくというやり方だそうだ。警察と違って捜査網を持っていないため、被疑者の親類や知人を片っ端から任意聴取という名の強制取り調べをして、検察の筋書きに合うような供述をさせて、事件を作り上げるという。これが、冤罪が作られる背景であり、かつての特高警察や共産圏の警察を思わせるような捜査取り調べ手法である。
特捜部は、国民から喝采を浴びるような「巨悪を暴き懲らしめる特捜部」を演じることを強く意識しているのだという。これが「検察の正義」の実態だ。
最終章で長崎地検次席検事として取り組んだ自民党長崎県連事件について述べている。それを「長崎の奇跡」と呼ぶのはどうかという気もするが、検察の組織の中では画期的な捜査だったそうだ。しかし、この良い事例は検察の組織の中で活用されることもなく、著者も捜査の第一線から遠ざけられてしまった。事なかれ主義、前例主義の官僚の世界とはこういうものだ。

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内容(「BOOK」データベースより)
理学部出身、鉱山会社を辞めて独学で司法試験に合格した「変わり種」が、さしたる動機も思い入れもなく、無理やり引きずり込まれた検察の世界。そこで目にしたのは、刑事司法の「正義」を独占してきた検察が社会・経済の構造変革から大きく立ち後れている姿だった。談合事件やゼネコン汚職などで「組織の論理」への違和感に悩んだ末に辿り着いた自民党長崎県連事件。中小地検捜査の常識を超える「長崎の奇跡」だった。こうした経験から、政治資金問題、被害者・遺族との関係、裁判員制度、検察審査会議決による起訴強制などで今大きく揺れ動く「検察の正義」を問い直す。異色の検察OBによる渾身の書。

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カバーの折り返し
ルール違反に対する制裁としての刑事罰の適用には、従来のような検察の組織内で完結した「検察の正義」中心の発想だけでは適切に対応できない(本文より)
社会や経済の複雑化・多様化に対応できていない検察。問題はどこにあり、どうすれば解消できるのか。
法令遵守ではなく、社会的要請に応えるとは、どういうことか。
コンプライアンス論の原点が、ここにある!

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目次
序章 私にとって検察とは
第1章 私が見てきた検察
第2章 日本的刑事司法の構造と検察
第3章 経済検察への展開と「迷走」
第4章 政治資金捜査
の行きづまり
第5章 揺らぐ「検察の正義」
終章 「長崎の奇跡」

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