"週刊誌は死なず" by 元木昌彦(朝日新書)

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週刊誌は死なず (朝日新書)

 

ジャーナリズムというと新聞やテレビを考えがちだが、週刊誌などの雑誌も立派な(高尚なという意味ではなく一翼を担っているという意味で)ジャーナリズムであることを再認識した。
週刊誌というと、政治や芸能に限らずスキャンダルや興味本位な記事、ヌードと下ネタが連想されるが、「書かない新聞、書けないテレビ」で報道されない隠れた真実を公表するという重要な役割を担い「国民の知る権利」に応えてきた。客観報道主義という名目で記者クラブに依存してお上から提供される情報のみを横並びで伝達するだけの新聞、広告スポンサーの顔色をうかがい踏み込んだ報道ができないテレビという実態がある以上、その穴を埋める週刊誌ジャーナリズムは必要である。「たかが週刊誌、されど週刊誌」という開き直りと、「タブーに挑み疑惑に踏み込む」という報道姿勢によって、現に重要な役割を果たしてきたということだ。
本誌の中でも、いろいろな雑誌名が出てくるが、自分自身、学生時代は「平凡パンチ」か「週刊プレイボーイ」、その後「週刊ポスト」か「週刊現代」、最近は「週刊文春」が「週刊新潮」というように年代によって読む雑誌が変わってきている。趣味や職業によっても読みたい雑誌は変わってくると思われるため、多くの雑誌が存在する理由は分からなくもないが、正直なところ数が多すぎて過当競争になっているような気はする。休刊は残念だが、継続している雑誌には頑張って欲しい。

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内容(「BOOK」データベースより)
新聞では書けない、テレビでは言えないことをやり、国民の知る権利に広く応えることが、週刊誌ジャーナリズムの原点である。だが、雑誌を取り巻く環境は急激に変わりつつある。続々と休刊に追い込まれ、発行部数も減少の一途をたどっている。名誉毀損による高額の訴訟が増え、週刊誌はタブーに挑戦しなくなった。これからの週刊誌ジャーナリズムがどう生き残るか、「日本で一番危険な編集者」が熱く問う。

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目次
第1章 史上初週刊誌シンポジウム開催
第2章 週刊誌をめぐる現状
   ノンフィクションの新たな胎動
   「週刊新潮」問題を検証する
第3章 週刊誌ジャーリズムの原点
   出版社系週刊誌の誕生とその時代
   「新聞」vs.「週刊誌」ジャーナリズム
第4章 「スキャンダリズム」を武器に
   権力者たちの嘘を暴く
   皇室報道と菊のタブー
第5章 タブーへの挑戦
   体制化したジャーナリズムへの批判
   芸能人のプライバシー問題
   「ヌード」もニュースである
   週刊誌が発信した大スクープ
第6章 週刊誌が生き残る道
   氾濫するネット情報との差別化
   雑誌規制と名誉毀損裁判
   なぜ週刊誌をなくしてはいけないのか
第7章 対論「週刊誌は死んではいけない」
   佐藤優×元木昌彦

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このブログ記事について

このページは、yafoが2009年9月29日 23:30に書いたブログ記事です。

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