2010年9月アーカイブ

テレビの大罪 (新潮新書)



お笑い芸人であふれるテレビ番組、どの局も同じことしか言わないニュース番組、正義の代弁者面するキャスター・コメンテイター。いい加減うんざりだという気持ちを医師、教育関係者としての立場から述べて、テレビ(テレビ業界、テレビ局、テレビ局員、業界関係者、テレビ番組などを幅広く含むもの)を断罪している。我々一般人が感じる以上にテレビの問題やテレビの視聴者に与える悪影響を鋭く指摘しており、常々、最近のテレビの下品さ、画一さなどをそれとなく感じていたのだが、あまり議論に挙がることのない医療、自殺、高齢者への悪影響なども認識することができた。
確かにテレビに出ることが偉いという価値観があるのは間違いないと思う。芸能人やタレントは、テレビに出ることにより有名になり仕事が増えるということはあるが、大学教授、研究者、政治家なども同じ価値観を持ってテレビに出演し、コメンテイターになり、いわゆる「人気者」になることを良しとしている風潮がある。「人気者」を偉いとする背景に、ゆとり教育があるそうだ。勉強ができる者やスポーツが得意な者より、仲間が多い人気者の方が偉いということになるらしい。

テレビに出る人は一流で偉くて信頼できるという既成概念ができあがっていることが怖いと思う。
テレビは、政治についても事件についても、画一的なことしか伝えない。
政治については、官僚側からのリーク情報を記者クラブで受け取り、全く同じ内容をテレビや新聞が報道する。一般国民は、それが信頼できると思っているから、世論を誘導することができる。
事件については、被害者が神様という立場で、徹底的に加害者を糾弾する。医療過誤であれば医師や病院は犯罪者として扱われる。
また、どの局もどの時間帯もお笑い芸人ばかりが出演し、「箸が転んだらおかしい」的な実に低レベルの笑いをまき散らしている。年配者や高齢者も笑えるようなレベルの高いお笑い番組を提供して欲しい。

参考情報:和田秀樹オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/wadahideki/entry-10614821826.html

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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
あなたはテレビに殺される。運よく命まで奪われなくとも、見れば見るほど心身の健康と知性が損なわれること間違いなし。「『命を大切に』報道が医療を潰す」「元ヤンキーに教育を語らせる愚」「自殺報道が自殺をつくる」―。精神科医として、教育関係者として、父親としての視点から、テレビが与える甚大な損害について縦横に考察。蔓延する「テレビ的思考」を精神分析してみれば、すべての元凶が見えてきた。
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【目次】(「BOOK」データベースより)
1 「ウエスト58cm幻想」の大罪/2 「正義」とは被害者と一緒に騒ぐことではない/3 「命を大切に」報道が医療を潰す/4 元ヤンキーに教育を語らせる愚/5 画面の中に「地方」は存在しない/6 自殺報道が自殺をつくる/7 高齢者は日本に存在しないという姿勢/8 テレビを精神分析する

街場のメディア論 (光文社新書)



内田氏の本を読むのは初めてだが一気に読み終えた。神戸女学院大学の講義を録音し、その内容を元に加筆して本にするらしい。話し言葉で書かれているのだが、日常では使わないような難しい言葉が出てくる。例えば、理路、拱手傍観、遁辞、眼光紙背など。
本書では、退廃ぶりが顕著なマスメディアがどうしてそうなってしまうのかを説明しているが、これだけにとどまらず、市場原理主義の問題点、社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本など)が独立であるべきこと、さらに本、著作物、著作権、贈与経済(贈与と返礼)など多岐に亘っている。
最後に、「わけのわからない未来」に向かって「自分宛の贈り物を見つけられるもの(価値を見つけようと努力するもの)が生き延びる」というアドバイスをしている。

第1講 キャリアは他人のためのもの
行政による押しつけのキャリア教育は間違いである。
自分の適正なんて誰にも分からない、人間の潜在能力は他人からの懇請によって開花するものだ。
呼ばれる声を聞け、召名vocation、天職calling。

第2講 マスメディアの嘘と演技
マスメディアの凋落
ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化し、新聞やテレビ中心のマスメディア之構造を瓦解させている。
系列関係にあるため、新聞やテレビは相互に批評することがなく、そんな問題はないかのように振る舞っている。自身の知性不調を隠蔽しており、回復不可能である。
ニュースキャスターは、知っているのに知らないふりをして「こんなことが許されていいんでしょうか」と大袈裟に驚愕してみせる。報道に携わる人間としては禁句である。

第3講 メディアと「クレイマー」
メディアのクレイマー化
「何も知らされていない市民」の代表面して社説を書いたり、被害者面してコメントするのは筋目が違う。
被害者が正義ということを言い過ぎ、クレイマーの増加を招いた。
何でも批判しさえすれば、教育も医療も改善されるという誤解を社会全体に蔓延させた。

第4講 「正義」の暴走
医療事故に際して、利害の対立を煽っている。医療事故被害者の家族を一方的に弱者と決めつけ、何ら非難しない。
病院で「患者さま」という呼称を採用した、これは医療を商取引モデルで考えるということになり、患者は消費者として振る舞うことを義務づけられる。
最低の対価で最高の商品(医療)を得るという市場原理主義が小泉内閣によって導入され、医療や教育分野にも
メディアの暴走の原因は、最終的に責任を取らされる生身の個人がいないこと、自立した個人による制御が及んでいないことによる。
「どうしても言いたいこと」ではなく「誰でも言いそうなこと」しか言わないメディアなら、存在しなくなっても誰も困らないということに人々が気がつき始めた

第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」
メディアの劣化はその定型的な言葉遣いの帰結である
メディアは世論を語るものだという信憑、「自分がここで言わなければたぶん誰も言わないこと」を伝えなくてはならない
メディアはビジネスだという信憑、市場経済が始まる前から存在したものは商取引のスキームに馴染まない
社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本など)は政治にも市場にもゆだねられてはならない
メディアに対する最大のニーズを作り上げるニュースソースは戦争である、メディアは戦争が大好きである
メディアは変化を求める、社会的共通資本にも変化を求める、変化しないものには報道する価値がないと考える
教育制度、医療制度に市場原理が導入され、現場は荒廃した
教育に市場原理を導入した結果、学生は「できるだけ少ない時間で単位を取る」消費者になってしまった

第6講 読者はどこにいるのか
本を読みたい人は減っていない、読者の質は落ちていない
電子書籍の功績は、紙ベースでは採算に乗らず出版されなかった本へのアクセスを可能にしたこと
書物は商品ではない
読者は、本を買ってくれた人ではなく本を読んでくれた人、読んでくれる人である
本を読んでくれた人が存在して初めて、本の価値が生まれ、著作権も発生する
本を書くことは、読者に対する贈り物である
すべての読者は無償の読者から始まっている

第7講 贈与経済と読書
贈り物を受け取った者は心理的な負債感を持ち、お返しをしないと気が済まなくなる、反対給付の制度
ある贈与を受けた者が、第三者に返礼をする場合があり、女の贈与(結婚)である

第8講 わけのわからない未来へ
ミドルメディアとは、数千人から数十万人規模の特定層に向けて発信される情報
ネット上に公開されたただで読めるものにお金を払ってくれる人が存在する、商取引モデルでは説明できない
自分に対する贈り物だと思った人が、反対給付義務を感じてお礼をしている
自分宛の贈り物を見つけられるもの(価値を見つけようと努力するもの)が生き延びる

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出版社/著者からの内容紹介
「街場」シリーズ第4弾、待望の新刊は「メディア論」!
おそらくあと数年のうちに、新聞やテレビという既成のメディアは深刻な危機に遭遇するでしょう。この危機的状況を生き延びることのできる人と、できない人の間にいま境界線が引かれつつあります。それはITリテラシーの有無とは本質的には関係ありません。コミュニケーションの本質について理解しているかどうか、それが分岐点になると僕は思っています。(本文より)
僕は自分の書くものを、沈黙交易の場に「ほい」と置かれた「なんだかよくわからないもの」に類すると思っています。誰も来なければ、そのまま風雨にさらされて砕け散ったり、どこかに吹き飛ばされてしまう。でも、誰かが気づいて「こりゃ、なんだろう」と不思議に思って手にとってくれたら、そこからコミュニケーションが始まるチャンスがある。それがメッセージというものの本来的なありようではないかと僕は思うのです。(本文より抜粋)
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調─、未曾有の危機の原因はどこにあるのか? 「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。
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【目次】(「BOOK」データベースより)
第1講 キャリアは他人のためのもの/第2講 マスメディアの嘘と演技/第3講 メディアと「クレイマー」/第4講 「正義」の暴走/第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」/第6講 読者はどこにいるのか/第7講 贈与経済と読書/第8講 わけのわからない未来へ

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)


本書の発行は2008/1なので、レポートされている内容はそれ以前の取材によるものである。その後、2008/9のリーマンショック、オバマ大統領就任などがあったが、続編を読む限りアメリカの状況が好転したということはなさそうだ。
本書は、市場原理主義に基づく民営化が先行して導入されたアメリカの悲惨な状況をレポートするものだ。肥満児童、ハリケーン・カトリーナ、医療難民、サブプライムローン問題、経済徴兵制、民営化された戦争など、医療・教育・安全保障といった分野が民営化された結果、いわゆる中流といわれる層以下の人々が貧困層に転落していく現実を伝えている。日本で小泉政権が押し進めた民営化政策・規制緩和政策は、これに倣って追従するものだったが、やっと「何でも民営化すればいいというわけではない」ことが認知されるようになってきた。政権交代と国民新党の働きにより郵政民営化による国民の資産流出は阻止されたが、格差問題が顕在化しているのも事実だ。
それにしても、ここに書かれた事実と今の日本を比較してみたとき改めて思うのは「今何が起きているのかを正確に伝えることを放棄したメディア」と「垂れ流される情報を事実として信じ込む国民」の存在だ。また、ワンフレーズコピーによる洗脳と、緩やかな支配と搾取が着実に進行しているのも同じだ。
昔は経済発展や生活文化の向上に関して「今のアメリカは10年後の日本の姿だ、早くアメリカのような自由な快適な生活をしたい」などと考えたこともあったのだが、市場原理主義や民営化至上主義はとんでもない話である。

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内容(「BOOK」データベースより)
貧困層は最貧困層へ、中流の人々も尋常ならざるペースで貧困層へと転落していく。急激に進む社会の二極化の足元で何が起きているのか。追いやられる人々の肉声を通して、その現状を報告する。弱者を食いものにし一部の富者が潤ってゆくという世界構造の中で、それでもあきらめず、この流れに抵抗しようとする人々の「新しい戦略」とは何か。

関連記事
 http://www.yafo.net/blog/2010/11/-ii-by.html

吉田自転車 (講談社文庫)



本屋の店頭で見かけて、「変な名前」の著者による「変なイラスト」が書かれた「変な名前」の本だと思ったのが読むきっかけだ。なんと吉田電車とか吉田観覧車という続編も出ているらしい。
この「変なイラスト」だが、てなもんや三度笠の頭に椎茸の軸のような胴体とヒョロヒョロの手足を付けたキノコのようなキャラクタだ。
内容はギャグ漫画家の著者が、愛車のマウンテンバイク「ナイスバイク号」に乗ってネタ探しをして回るというエッセイ集だ。もともとはWeb現代(現在MouRaに改称)で公開されたものらしい。
エッセイなのでいろんな話があるのだが、その中でちょっとおもしろいと思ってしまったことは、
・回転寿司で「注文する」のは俺はどーしてもいやだ。相撲を見にいった客がいちいち「じゃあ次は誰vs誰の取り組みをお願いします」と頼まなきゃならないのと同じではないか。
・補助輪がとれたときの記憶を覚えているか。片側をはずして走りすーっと体が浮くような感じ。
・ふるさと岩手県を後にして上京した理由の一つに「民放が二局しかなかった」がある。昔の地方はどこもそうだった。さらに昔は民放一局だったよね。
・スイトンだって広義ではパスタだろう。たしかに!それにしてもラーメンなど麺類の話が多い。
・太陽の塔の背中に、黒い太陽が描かれている。これは知らなかった。どういう意味がこもっているのだろうか。

参考情報:MouRaのThe Very Best of 吉田自転車
http://moura.jp/liter/yoshida/past/0912.html

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内容(「BOOK」データベースより)
時にはあてどもなくこきこきと、ある時はがしょがしょと雪を削りながら、俺はペダルをこぐ―愛車・ナイスバイク号にまたがり、『伝染るんです。』の人気漫画家が、主に都内近所をゆるゆると疾走する初のエッセイ集。穴場的蕎麦屋へ激走せよ!燃えよ体脂肪!暴虐の駐輪場!チャリ文集に、乞うご期待。

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