"街場のメディア論" by 内田樹(光文社新書)

| コメント(0)
街場のメディア論 (光文社新書)



内田氏の本を読むのは初めてだが一気に読み終えた。神戸女学院大学の講義を録音し、その内容を元に加筆して本にするらしい。話し言葉で書かれているのだが、日常では使わないような難しい言葉が出てくる。例えば、理路、拱手傍観、遁辞、眼光紙背など。
本書では、退廃ぶりが顕著なマスメディアがどうしてそうなってしまうのかを説明しているが、これだけにとどまらず、市場原理主義の問題点、社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本など)が独立であるべきこと、さらに本、著作物、著作権、贈与経済(贈与と返礼)など多岐に亘っている。
最後に、「わけのわからない未来」に向かって「自分宛の贈り物を見つけられるもの(価値を見つけようと努力するもの)が生き延びる」というアドバイスをしている。

第1講 キャリアは他人のためのもの
行政による押しつけのキャリア教育は間違いである。
自分の適正なんて誰にも分からない、人間の潜在能力は他人からの懇請によって開花するものだ。
呼ばれる声を聞け、召名vocation、天職calling。

第2講 マスメディアの嘘と演技
マスメディアの凋落
ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化し、新聞やテレビ中心のマスメディア之構造を瓦解させている。
系列関係にあるため、新聞やテレビは相互に批評することがなく、そんな問題はないかのように振る舞っている。自身の知性不調を隠蔽しており、回復不可能である。
ニュースキャスターは、知っているのに知らないふりをして「こんなことが許されていいんでしょうか」と大袈裟に驚愕してみせる。報道に携わる人間としては禁句である。

第3講 メディアと「クレイマー」
メディアのクレイマー化
「何も知らされていない市民」の代表面して社説を書いたり、被害者面してコメントするのは筋目が違う。
被害者が正義ということを言い過ぎ、クレイマーの増加を招いた。
何でも批判しさえすれば、教育も医療も改善されるという誤解を社会全体に蔓延させた。

第4講 「正義」の暴走
医療事故に際して、利害の対立を煽っている。医療事故被害者の家族を一方的に弱者と決めつけ、何ら非難しない。
病院で「患者さま」という呼称を採用した、これは医療を商取引モデルで考えるということになり、患者は消費者として振る舞うことを義務づけられる。
最低の対価で最高の商品(医療)を得るという市場原理主義が小泉内閣によって導入され、医療や教育分野にも
メディアの暴走の原因は、最終的に責任を取らされる生身の個人がいないこと、自立した個人による制御が及んでいないことによる。
「どうしても言いたいこと」ではなく「誰でも言いそうなこと」しか言わないメディアなら、存在しなくなっても誰も困らないということに人々が気がつき始めた

第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」
メディアの劣化はその定型的な言葉遣いの帰結である
メディアは世論を語るものだという信憑、「自分がここで言わなければたぶん誰も言わないこと」を伝えなくてはならない
メディアはビジネスだという信憑、市場経済が始まる前から存在したものは商取引のスキームに馴染まない
社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本など)は政治にも市場にもゆだねられてはならない
メディアに対する最大のニーズを作り上げるニュースソースは戦争である、メディアは戦争が大好きである
メディアは変化を求める、社会的共通資本にも変化を求める、変化しないものには報道する価値がないと考える
教育制度、医療制度に市場原理が導入され、現場は荒廃した
教育に市場原理を導入した結果、学生は「できるだけ少ない時間で単位を取る」消費者になってしまった

第6講 読者はどこにいるのか
本を読みたい人は減っていない、読者の質は落ちていない
電子書籍の功績は、紙ベースでは採算に乗らず出版されなかった本へのアクセスを可能にしたこと
書物は商品ではない
読者は、本を買ってくれた人ではなく本を読んでくれた人、読んでくれる人である
本を読んでくれた人が存在して初めて、本の価値が生まれ、著作権も発生する
本を書くことは、読者に対する贈り物である
すべての読者は無償の読者から始まっている

第7講 贈与経済と読書
贈り物を受け取った者は心理的な負債感を持ち、お返しをしないと気が済まなくなる、反対給付の制度
ある贈与を受けた者が、第三者に返礼をする場合があり、女の贈与(結婚)である

第8講 わけのわからない未来へ
ミドルメディアとは、数千人から数十万人規模の特定層に向けて発信される情報
ネット上に公開されたただで読めるものにお金を払ってくれる人が存在する、商取引モデルでは説明できない
自分に対する贈り物だと思った人が、反対給付義務を感じてお礼をしている
自分宛の贈り物を見つけられるもの(価値を見つけようと努力するもの)が生き延びる

----
出版社/著者からの内容紹介
「街場」シリーズ第4弾、待望の新刊は「メディア論」!
おそらくあと数年のうちに、新聞やテレビという既成のメディアは深刻な危機に遭遇するでしょう。この危機的状況を生き延びることのできる人と、できない人の間にいま境界線が引かれつつあります。それはITリテラシーの有無とは本質的には関係ありません。コミュニケーションの本質について理解しているかどうか、それが分岐点になると僕は思っています。(本文より)
僕は自分の書くものを、沈黙交易の場に「ほい」と置かれた「なんだかよくわからないもの」に類すると思っています。誰も来なければ、そのまま風雨にさらされて砕け散ったり、どこかに吹き飛ばされてしまう。でも、誰かが気づいて「こりゃ、なんだろう」と不思議に思って手にとってくれたら、そこからコミュニケーションが始まるチャンスがある。それがメッセージというものの本来的なありようではないかと僕は思うのです。(本文より抜粋)
----
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調─、未曾有の危機の原因はどこにあるのか? 「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。
----
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1講 キャリアは他人のためのもの/第2講 マスメディアの嘘と演技/第3講 メディアと「クレイマー」/第4講 「正義」の暴走/第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」/第6講 読者はどこにいるのか/第7講 贈与経済と読書/第8講 わけのわからない未来へ

コメントする

このブログ記事について

このページは、yafoが2010年9月 6日 22:48に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「"ルポ 貧困大国アメリカ" by 堤未果(岩波新書)」です。

次のブログ記事は「"テレビの大罪" by 和田秀樹(新潮新書)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。